西武でのメモ

少年ジャンプ



少年ジャンプを読み忘れてしまった。
毎週欠かさず立ち読みしていたのに。
かといって発売日に絶対読むってほどじゃなかったし、そもそも熱中していたらちゃんと買っていたんだろうとも思うし。

その日というかその週に何があって読みそこねてしまったかは全然思い出せないんだけど、早く読まなきゃ返本されてしまうから読まないとなぁとか考えながら過ごしていたのは覚えてる。ちょくちょく思い出していた程度に過ごしていたからこうやって忘れてしまって、そうこうしてるうちに返本されてしまってどこのコンビニでも立ち読みできなくなってしまったのだけども。
勝手に金も払わず立ち読みなんかしておいてなんだけども、少年ジャンプ、とても好きだなぁと思う。昔はそれこそ毎週欠かさず買っていたし。230円だか240円だか毎週欠かさず払っていた。読んでいた頃でもじわじわと値上がりがしていて、たぶんいまはもう10円20円は値上げしてるのかなたぶん。
コンビニバイトの身としてはだいたいよくある商品なんかの値段なんかはわかるわけなんだけど、僕のバイトしているところは土地柄なのだろうけど週刊漫画を定期的に買っていくひとなんてろくにいなくて、ジャンプなんて買うひとはなおさらいない。そのせいかコンビニにいけば腐るほど陳列されている漫画雑誌の値段なんかはいまだにぼんやりしかわからない。酒とか飯とかどうでもいい雑貨とかタバコとかそういうものの値段は一の位まで覚えていたりするんだけど、なんだか改めて考えると少し味気ないような気がしてしまうけど、そんなのは普段考えても感じてもいない味気なんてものに酔ってるだけな気もしてしまってなんだかダサい。と思ってしまった。

そう、そうこうどうでもいいことを考えたり考えなかったりして過ごしているうちにもっとどうでもいいことであったんだろう週刊少年ジャンプの立ち読みをその週はやりそこねてしまった。そう、買わないから値段もわからないし実はそんなになのかなとか思うような感じなんだから、一週読み飛ばしてしまったなら来週からまた読めばいいしな、とか思っていたんだけど、というか現にいままでもそうやってなんとなく飛ばしてしまってなんとなく読んで雰囲気と流れで勝手に補完して楽しんでいたし。
ところがなんだかその次の週もうまいことジャンプを手に取ることもなく過ごしてしまって、毎日毎日欠かさずコンビニには行くのに立ち読みする時間だってあるのになんだか一週飛ばしたのが今回はとても居心地が悪くなってしまって、そうしたらその週も読まずにまたジャンプは返本されて行ってしまってコンビニから消えてしまって。
そんな風なことを律儀に毎週繰り返していまはたぶん1,2ヶ月くらいジャンプを読んでいない。最初はまとめて漫喫にでもいって読めばいいかと思ってたんだけど、ジャンプ読むためだけに漫喫に行こうなんていうほどの熱量も金もなかったみたいだ。

それでも週刊少年ジャンプは好きだなと思う。
週刊ってところがまたミソなのかもしれない。
フリーターコンビニアルバイトなんて、それで週に5日も6日も勤務していて曜日なんてあんまり感じてなくてなんとなくの人の多さだったり流れだったりその種類だったり、納品されてくるものの多さだったりその種類だったり、曜日ごとにシフトに入っている人たちの種類だったりでしか曜日を意識することってないのかもなと思ったんだけど、書き出してみたら十分過ぎるほど情報があった。たぶん俺が単純に曜日を気にしていないんだと思う。
それでもあぁ月曜かとなると、ジャンプの日だと思う。今日は立ち読みして帰ろうって。
前にもしばらくなんだか読んでいなかった時期がたぶんあってそのせいか元々知っている作品でもなんとなく追えなくなってしまったやつもあって、新しく始まったやつでもなんだかうまく読めないやつがあったりして、実際好きだといってもちゃん読んでいるのなんて片手で足りるほどかもしれない。ちゃんと数えてもないけれど。

それでも毎週ジャンプを立ち読みし終わったあとはなんだか爽快な気分で、こう腹の奥というかどこか自分の奥のほうがぼんやり熱くなるようなとても嫌じゃないむしろたぶん良い気分になるからそれが好きだなぁと思う。
割とどんな気分でもジャンプを立ち読みすると帰ってくるところがあってそれが好きだなと思った。そのことにたぶん去年か一昨年だかくらいに気づいた。もう今年で25になってしまったんだけど、なんだか妙な距離をとってその熱に気づいた。
それがすごくよかったんだけど、熱に気づいてしまうっていうのはまたけっこう嫌なもんで距離ができてしまう。そんなこといっても立ち読みしたら帰ってこれるんだろうな、と思えるからまぁ本当に中途半端というかスカスカなもんだなと思うけど。

昔から面白いなぁと思うのは僕がハマる、というか第1話とか序盤でこうグッと気になるやつ、自分で読みながらこれ自分が好きそうだ、となるやつってのはだいたい本当に8割くらいが打ち切りになる。わかりやすすぎるんだろうなとか思うけど実際はどうだかわからない。
わかりやすすぎるものってのはきっとみんな食傷気味なんだろうな。足りてるし。もうあるじゃん。またこのパターンかよ。ってたぶんそんなかんじ。まぁ人気と金にはならないんだろう。

漫画は好きだなと読むたびに思う。
かといって詳しいわけでは本当に全然なくて、いろんな作者の色んな作品を知ってるわけじゃ全然ない。ただ、好きだなと思う瞬間と作品がちらほらあるだけな気がしてる。
僕は音楽が好きなんですけれど、そこにおいてもそういうことがまぁあるよなと思う。

気づけば昔っからそうだったなぁと思うことが最近前より増えたなぁと思う。昔っていうモノが増えただけなのかもしれないし、昔ってモノになっちゃっただけなのかもとか思うとなんだか寂しいような気持ちにもなるし、大げさに大人って感じになってきたのかなとか本当にしょうもないことを考えてしまって、なんか違うっていう漠然とした感覚でそれをたぶん否定してふりだしに戻る、ような感じがある。
それでも昔っから要素があって、同じ仕組みだったなぁってモノたちがちらほらある。

誰かを好きになるとか、何かを好きになるとか
何かに夢中になるとか、誰かに強く憧れるとか
ほとんどがそういうことばかりだとは思うんだけど。
たぶんこれはいまある色々なことが上手く回ってないような気がして、それをむかーしの自分から理由を求めて変わってないなぁなんていうそんななんだかくすぐったいような言い訳を探して少し綺麗にしたいだけなんだろうと思う。
こうやって頭を回したようなふりをしてわかったふりをしてしまうのが本当に悪い癖なんだなぁって思う。 そういうそれもソレなんだと思うと何もなくなってしまうからだいたい毎回ここがスタートでぐるっと回って戻ってゴール、みたいな感じになってる気がする。

話は戻るけど、戻るというか既に何回も逸れてはいるよなとも思うけれど。
ジャンプというか漫画の話か、もっといえば何かを作るってことについてかもしれない。そうすると戻ってるわけでは全くないか。

最近またなんとなく漫画の単行本を買って読むっていうのを本当に久しぶりにやるようになった。その理由というかきっかけもなんだか自分のものじゃないような気がしてしまってうーんとなるんだけれども。
誰かに対する興味から、その人の延長から出てくる興味とかそれがきっかけになることがなんだか薄っぺらなものに感じてしまうたぶん昔から。自分とその作品だけの関係じゃないとなんとなく嘘みたいな気持ちになるんだと思う。すこしだけ

それで漫画を読むようにまたなって、ジャンプみたいな気持ちになって、なんとなくはわかっていたんだけどジャンプであるとか立ち読みがどうとかそういうことはなかった、という確認が一つ取れてしまってすこしだけ期待していたような気がした。

好きなものがたくさん溢れてる、っていうのはすごく楽しいなぁと思う。なんというか生活にハリが出る。好きなものに触れて、一回生活に戻ってくるときにすごくツヤツヤしているような気がして、あれがすごく気分がいい。
それこそ漫画でデフォルメされたキャラクターの顔がツルツルとしてツヤツヤしているようなあのアホヅラにあるような力の抜けたようなとてもちょうどいいやつ。

本当は今日、岡崎京子の『リバースエッジ』を読んですごく好きだなぁと思って、すごくはすこしだけ嘘なのかもしれない少し先にならないとわからないような気がするけれど、それでなんとなく思い出したようにしてメモのように書きたかったんだけど、そろそろメモの意味がなくなってそうだからなんとなく止めようと思う今日は。
何かを作ること、っていうことを思っていたんだけれどそこについては今日じゃなくても変わらないところがあるし忘れないだろうし今日じゃなくていいと急に思ってしまったし少し疲れたからやめよう。今日のメモ。1杯650円もするコーヒーのせいかもしれない。

習慣にするつもりもないけれど


そんなつもりもないけれどまだ頭の中に選択肢として定着してないようでブログもサボり気味。

まぁサボるなんていっても誰かに頼まれてるわけでも自分で決め込んでやってるわけでもないからいいのだけれども。


今日はというと、父の命日が平日のなってしまうってことで日曜の今日にまぁ何人かで墓参り。

墓参りっていっても父の墓はなんだか最近のテクノロジーに加え東京の狭い土地を有効活用みたいな、なんていうんですかああいうの、普通のビルでエレベーターで上がってカードをかざすと墓が呼び出されて出てくるみたいなそんな墓なので屋内だしまぁなんというか風情みたいなもんはさっぱりな墓参り。

まだ少しあるけどもう一年経ったんだなぁと、まぁこれはこの前の記事でも書いたんだけど。


そんなハイテクなお墓になった理由にはまぁ都心にあってアクセスが良い、随分と歳をとってしまった親戚だったりもエレベーターやらなんやらでバリアフリー?な感じで良いとかそういうのがあって、まぁほとんど建前みたいなとこがあって現実的には金銭面の問題があったのがでかいのも事実で。まぁお墓って高いですからね。葬式だってバカみたいに金かかるし、まぁ言ってしまえばビジネスだし。気持ちだけでは皆さんおまんまは食えないわけですもんね。にしても高えとは思ったけど。

まぁそんなお墓に父は眠っているわけで、ただそれだけが風情がないってことでもなくて屋内だしなんやら機械チックでオートなので普通の墓参りでやるような墓の掃除だったりそういうのも必要ないんですよね。花も元から生けてあるものがあって。手ぶらでもフラッと来れる、みたいなのもアピールポイントらしいんだけど。

母とか叔父さんはやっぱりそういうのがなんか忘れ物をしてきたみたいで変な感じだね、と言っていて、僕はまぁ現代っ子なので言いたいことはわかるけれどリアルにそれを問題に感じられなかったのが正直なところ。


そんな感じでお手軽?と言ってはなんだけど、そんな墓参りだったのでサクッとそれ自体は終わって家に帰るのもなんだかなとなって今日も今日とて1人でやっすいコーヒー啜りながら本を読んでるわけで。

なんだかオサレじゃないですか?休日にカフェで読書とか。そうでもないですかね、そうでもないですね。

いまだに最初の記事で書いた志村正彦のブログ集を読んでいて、いまさっき読み終わったところ。


僕は音楽が好きなんですけれど、どうやら特に歌詞を聴くのが好きなタイプなんだってことが最近わかりまして。みんな歌詞聴いてるもんだと思ったら意外とそうでもなくて、というか割と少ない。

まぁ僕含め身の周りには純リスナーってよりはプレイヤー寄りの人が多いのも理由なのかもしれないけれど。

歌詞全然聴かないわーとか、半々くらいできいてるわー、とかいやもちろんそれが駄目だとか歌詞を聴いてる自分を棚上げしたいとかではなくてですね、色んな人がいるんだなぁと改めて。

もちろん僕も歌詞ばっかきいてるわけでもないんですけれど、どうしても気が行ってしまうポイントに歌詞が1つちゃんとでかい場所を占めているってかんじ。


そんで、まぁ歌詞なんて、なんてというか歌詞に限らず普段の会話でさえもそうだけど、言葉っていうのは人によって解釈がまぁ面白いくらい違うもんで。

いや、この歌詞はこういうこと言ってると思ったって人から、いやいやそれは違うでしょ、みたいなまぁほんと色々。どれが本当で正解だとかそういう話でもなくて。


で、僕は歌詞を聴きながらその歌詞を書いてる人ってどんな人なんだろうなみたいなことをぼんやり考えるのが好きというか、こいつはどんなやつなんだ?みたいなそんな熱量でもって考えるわけではないんだけど。


そんで、今回志村正彦のブログ集を読んでみてなんつーか思った通りっていうのは大袈裟だけど、意外なところってのは1つもなかったなぁと。まぁもちろんブログやら本やらは外に出ること前提に書かれてるわけで、それでその人についてどうこう言おうってのもなんか失礼かなぁという気持ちもあるけれど、単純に好きな言葉を書く人がやっぱり好きな感じの人だったっていうのがしっくりきたなぁという感じ。


まぁ安っぽい言い方をすれば勇気がもらえるっていうんですかね?俺と志村じゃ出してる結果にホント天と地ほどの差があるわけだけど。そんだけの人でもこんなんなんだなぁ、と。

なんか妙に熱い言い方だけどこんな人がこんだけブログからだけでもわかるだけやることやってんのに俺はなにしてんだろーなー、と。追いつくには足りなさすぎるなと改めて自覚できたかんじなのかな。


まぁ今日はそんな感じいまのところ。

これから1,2時間気晴らしに散歩でもしたらスタジオに行って個人練でもしようかしら、というかんじ。


このブログも週一くらいで書けてるので意外と続けられるんじゃあないですかね。需要なんか俺にしかないけど。

親知らず


帰り道にチャットモンチーの『親知らず』を聴いて、泣いてしまった。

今日はそんな日だった。
こんな時ばかりは前髪が長くてよかったなと思った。普段は邪魔で仕方ないけれど。

そろそろ父の命日だ。

あれからもう一年が経つらしい。期間で言われたってよくわからないんだけれど、一日とか一週間とか一年とか分かるかたちになってくれるとなにか掴みやすいのかもしれない。

最初は上手く悲しめなくて、上手く泣けなくて、そのことが悲しくって。
少し経ってからしっかり悲しくて、しっかり泣いてしまって、そのことが少し嬉しかったりして。
もう少ししてから、上手く思い出せなくなって、思い出だとか記憶だとかが曖昧になってしまって、それが少し悲しかった。

もうすぐ一年経とうとしてるいまは、相変わらず思い出せないんだけれど、なんとなく毎日心が落ち着かなくてお父さんのことがちらつくんだ。ちらつくなんて悪い言い方しちゃったけれど。

相変わらず僕は自分のことばっかりで、周りのことを気にしてしまうのにそれに見合うだけの行動力を持ち合わせていないんだ。
お母さんのことだって心配なのにまだまだ甘えてばっかりで全然安心させてあげられないんだよ。
やりたいことがあるんだよ。道も見えないしゴールもあるのかわからないんだけど。親不孝だなぁって思うよ。
でも僕はどっかの誰かに似てしまってどうやら相当頑固なみたいだよ。全然諦められないんだ。
でも昔よりは胸を張って言えるようになったんだ。言ってるだけじゃあだめなんだけどね。相変わらず自分には甘いんだ。そこも少しは似てるのかな。

もうすぐ一年が経とうとしていて、一年前の自分がなりたかったようにはまだまだ程遠くて、なりたいようにはなれてないよ。
いままではそんな一年を繰り返してきたんだけど、これからはきっと違うから見ていてほしいんだ。
 いままではなんだか気恥ずかしくて言えなかったことも見せてなかったものも、いまなら全部できるのに。うじうじしてしまうのは悪いところだね。


たまに帰ればご馳走 もう子どもじゃないのにね
ああ だけどやっぱり あなたの子でよかった

家族写真は今もまだ 和やかに 色あせず
広くなった家の中 微笑んでいたのです

写真の中の2人の目がとても強いから
私がここにいる意味 わかった気がしたのだよ
この幸せがあなたの幸せであること
この悲しみがあなたの悲しみであること

大丈夫!写真はこれからも 和やかに 色あせず
ひとりで暮らす部屋の中 光を放っていくのです
私もいつかこんなふうに人を愛せるだろうか
幸せの意味を誰かとわかりあえるだろうか

親知らずが生えてきたよ 怖いから歯医者には行かない
親知らずが生えてきたよ 誰も知らない間に





今日も今日とて

ちらほら知り合いくらいにブログをやってる人や始めた人たちがいて、なんとなく興味がでたので始めてみた。友達じゃなくて知り合いくらいだから興味が持てたのかもしれない。

いつまで続くのかはわからないけども。


ブログだなんだと言っても勝手も分からないし、他の人がやっているみたいに日々の中から面白いテーマを見つけてウィットに富んだ記事を書く、なんてことはできそうもないのでまぁ普通の日記になるんだろうな。


そういうわけで今日は記念すべき初日記なので日記らしく今日のことを書いてみようと思う。



今日はというと冬にしてはなかなかに暖かい日曜日で、いい日和だったから散歩でもしたかった。

ただ留年して大学5年目・内定無しフリーターまっしぐらの大学生にそんな暇はないらしく、大人しくこの学生生活最後になってほしいテスト期間、真っ当に試験勉強やらレポート作成やらしてやろうと昨日のうちから決めていた。


午前中には大学図書館に着き、目当ての教科書となる本を探して借りた。ハードカバーのものが9冊。それなりに、というかだいぶ重かった。借りてから少し目を通すと、うち2冊は全くもって試験対策に使えなかったので借りて1時間もせずに返した。残り7冊。やっぱり重い。


男は荷物が少ないから鞄も小さいし軽くて女の人は色々と物を詰めがちで鞄が重い、なんて話をどっかで聞いたことある気がするけれどあれは嘘なんだろうなと毎日ずっしり重いリュックを背負いながら思っている。もしかしたらそんな話はそもそもなかったのかもしれない。


失敗するのが嫌だというか、なんか思いついた時にできないのが嫌だという理由で僕のリュックにはモノが多いのだ。

中古で買った読みかけの文庫本が4冊、実は僕はドラマーでもあるので練習したくなったとき用にドラムスティックと練習パッドも入っていて、あとは読みかけの雑誌だったり使い捨ての歯ブラシだったり制汗剤だったり。中古の本が4冊も入っているのはやっぱり同じ理由で、別のものを読みたくなったときにないと嫌だから。

今日はそれに加えて、図書館で借りた本が7冊。それからどうしても図書館で見つからなかったのでしぶしぶ買った文庫本が1冊、探すついでに寄ったブックオフで元フジファブリック志村正彦の『東京、音楽、ロックンロール』が1冊。

数えてみると本だけで計13冊も入っていた。そりゃどうしても重くもなるわけで。

ドラム練習セットはさすがに重すぎたので今日ばかりは大学の部室に置いてきた。


そうして重いリュックを背負いながら、本を探して買い、ようやく勉強してやろうと家の近くのサイゼリアに腰を落ち着けて、いまこの記事を書いている。

わかっているかもしれないが結局今日はまだなんにも試験勉強とやらをしていないわけで。

今も今とても携帯片手にこの記事を書いているわけで。


課題の本を読んでみたけれど、どうしても眠くなってしまうので志村の本を読んでいた。

志村の本、といっても彼の当時のブログを集めたものがメインで、それに何個か記事が追加されているものらしい。


冒頭で 周りの人が〜、なんて言ったけど単純に志村のブログを読んでいたら自分もブログを始めてみたくなったというのがほんとのところ。なんだか恥ずかしいので言い訳がましくネタばらし。


たいして今日も今日とてなにもしていないのに、こうもダラダラと書いてしまって…誰も興味ないでしょうに。


日記というか僕の鞄が重いだけの話になってしまったけど、これ以上長くてもなぁと思うので今日はこんなところで。なんとなく長く続けられたらなぁと思う。

誰が見てくれるのかもわからないけれど。


あと初めて長々と文章を書いてみてわかったのは文体がごちゃごちゃになるなぁと。なんか気持ち悪く思われたら申し訳ないけれど初回だし許してくださいな。直すのも面倒なので。